Story of a day

日常をストーリーに

夢を叶えたらブラックだった⁉3

モモは不穏な空気を感じていた。

 

長年の苦労の果てに辿り着いた場所は、寂れた町の小さなオーケストラだった。

 

しかし、オーケストラの大小は、モモにとって正直どうでも良かった。

 

とりあえずどこかのオーケストラに就職するというのが、ずっと縛りつけられていた『夢』へのケジメだったのだから。

 

しかしそのケジメもまだ道半ばだ。

 

まだ『夢』は完全な終幕までは至っていない。

 

モモはあと一年半、試用期間を乗り越え、楽団員の投票で合格を勝ち取ることで初めて、幕引きが出来るのだ。

 

そしてついに始まった試用期間。

 

モモにとっては驚きの連続だった。

 

まず人事担当の人が、ほとんど事務所にいなかった。

 

合格直後に事務所に連れて行かれたのだが、当然のように事務員は不在だった。

 

「いつも居ないから」とため息交じりに言う案内係にモモは不安を覚えながらも、試験会場からついてきていた小太りのおじさんが、「次の曲は難しいからちゃんと練習してくるように」と睨んでくることの方に気を取られていた。

 

このおじさんは実はオーケストラの総監督、つまりボスのような存在で、後にモモを苦しめることになるのだが、この時のモモは知る由もなかった。

 

結局、モモが契約書を手に入れたのは約一か月後で、通常はメールで完結するものなのに、モモは何度も事務所まで通う羽目となった。

 

オーケストラというのはいくつかのセクションに分かれていて、大きく分けると管楽器と弦楽器、更に細かくバイオリン、ビオラ、チェロ・・・とわかれていく。

 

モモの入ったセクションは周囲から『良い人たちで、感じの良いチーム』だと言われる場所だった。

 

ラッキーだね、と言われ、人付き合いの苦手なモモはほっと息をついた。

 

次のプロジェクトのための楽譜を、わざわざ自宅まで持ってきてくれた時にも、『何て親切なんだ』と感動したものだ。

 

たまたま近くに住んでいた彼女は、モモに楽譜を手渡すと『あなたが私たちのことを助けてくれることを期待している』と微笑んだ。

 

『頑張ります!』と笑顔で答えたモモだったが、彼女が帰った後、モモの脳裏には『助け』という言葉が、妙に嫌な響きを持って漂っていた。

 

『『一緒に働けることを楽しみにしている』というのはよく聞くけれど・・・助け合うでもなく、助けてってこれから試用期間を始める人に、普通は言うだろうか・・』

 

悶々とする頭を、モモは勢いよくぶんっと振った。

 

考えていても仕方がない。やるしかないのだ。

 

クライマックスに向かって演じ切るだけだ!と、胸を張った。

 

そしてモモは試用期間中のマイルールに、新たなルールを付け足した。

 

『試用期間中は、深く考えないこと』

 

周囲に不平不満を言えない期間、この決め事はモモの心を守ってくれるものとなった。

 

 

※このストーリーはフィクションです。

 

 

 

 

夢を叶えたらブラックだった⁉2

6歳から始まった夢が叶ったのは、モモが30歳になったころだった。

 

その頃になると、両親の『夢』に対する関心は薄くなっており、『叶えること』への束縛だけがモモの心を支配していた。

 

そんな中、ようやく手にした成功に、モモは心底ほっとした。

 

『これでやっと解放される・・・』

 

そう思い、就職したことを報告すれば『本採用されるために頑張らないとね』と言われ、モモの喉がぐっと鳴った。

 

そう。そうなのだ。

 

モモの目指した世界、『オーケストラ』は所謂オーディションを合格してから、試用期間というものがある。

 

試用期間というのは、オーディション合格者が実際そのオーケストラで働き、既存のオーケストラ団員が、団員として過不足ないかを『テスト』する期間のことだ。

 

その期間の長さはオーケストラによるのだが、モモの場合は一年半もの試用期間が定められていた。

 

つまり一年半の間、大きなミスをせず、楽団員に音楽的にも、人間的にも『嫌われない』ように努めなければならないのだ。

 

『オーディションを合格するだけでも骨が折れたのに・・・』

 

とモモは途方に暮れた。

 

何と言っても、モモはコミュニケーションが大層苦手なのだ。

 

人見知りで引っ込み思案なモモは、小学校の頃、度重なる転校のせいもあって、場面緘黙症になった、といえば、どのくらい人付き合いが苦手なのか、想像しやすいだろう。

 

更に問題はそれだけではなく、海外のオーケストラということで、母国語以外でコミュニケーションを取らなければならないのだ。

 

勉強の末、ある程度の日常会話は出来るようになったのだが、それでも言語の壁は厚く、一層モモの頭を悩ませた。

 

『オーディションにさえ受かれば、過去の『夢』から解放されると思っていたのだけれど、違うみたい』

 

モモはめでたいはずの帰りの電車で、一人ため息をついた。

 

『テスト』といえど明確な基準はなく、『ここのオーケストラに合うか』という主観に基づいて審査される。

 

総勢40人近い楽団員が投票し、2/3以上が『〇』に投票していなければ、一年半の苦労は水の泡。

 

失業者になり、再びオーディションを受け続ける日々が待ち受けているのだ。

 

『音楽家は気分屋で、感情的な人が多いっていうし、どうしたものか』

 

どんよりと垂れこめた雲が空を覆っていた。

 

その夜、モモは夢をみた。

 

子どもの頃から繰り返しみる夢だ。

 

モモは電車のホームに立っていて、みんなと一緒に電車へと乗り込む。

 

一緒に乗る相手はいつも違ってて、友人のこともあるし、昔のクラスメイト、もしくは家族の場合もある。

 

最初は何の滞りもなく、和気あいあいと電車に乗り、目的地へと向かっているのだが、なぜか唐突に、『間違えている』と思うのだ。

 

乗る前に何度も確認しているにも関わらず、いつも違う電車に乗り込んでいるのだ。

 

目的地に着く電車に乗り換えるためにみんなで移動するのだが、荷物が多すぎて、まとめている間にひとりぼっちになってしまう。

 

慌ててホームや駅構内を走り回り、電車を探すのだけれど、どうしても正しい電車が見つからない。

 

時間は刻刻と進み、焦燥感に苛まれ、段々と行き場所もわからなくなっていく。

 

違う、違う、という思いだけが残り、気がつけば、一緒に乗っていたみんなも、荷物も、電車さえも消え去り、一人ホームに、ぽつりとつったっている。

 

戻ることも進むことも出来ずに。

 

そして、静かに絶望するのだ。

 

ゾンビに追っかけ回されたり、高所から落ちたりといった、怖さのある『悪夢』ではないのだが、モモはこの夢をみるのが嫌でたまらなかった。

 

『ああ、もう。またこの夢だ』

 

苦々しい表情で目を覚ますと、モモはこれからの一年半に思いを寄せた。

 

カーテンのない屋根裏部屋に、朝日が差し込んでいた。

 

間違っているのはわかっていた。

 

それでも逃れられずに、ここまで来たのだ。

 

『最後の仕上げをするか』

 

この馬鹿馬鹿しい『夢』に蹴りをつけよう。

 

モモは腹をくくった。

 

コミュニケーションが苦手なら無理をせず、出来ることをすればいい。

 

そうやってモモが試用期間中にやると決めたことは、

『笑顔で挨拶すること』『誘いには絶対に乗ること』『お願いを断らないこと』だった。

 

『さて、これが吉と出るか、凶と出るか。

 

一年半後が楽しみだ。』

 

朝日がモモの目に反射して、キラキラと光っていた。

 

 

※この話はフィクションです

 

 

夢を叶えたらブラックだった⁉1

『こんなにも不条理なことってあるのかい?』

 

そう言うとモモは顔を両手で覆い、大げさに嘆いた。

 

青春時代を投げうって、ようやく叶えた『夢』。

 

その『夢』がブラックでハラスメントにまみれたいる場所だったなんて・・・。

 

そもそもこの『夢』はモモの夢ではなかった。

 

まだ夢やなりたい職業などなかった時、両親を喜ばせるためだけに言った、その場しのぎの『嘘』のようなものだった。

 

その幼いころの『嘘』に縛られ、取り戻せない『言葉』を背負ってきた。

 

そんな『夢路』は、苦悩と困難の連続だった。

 

モモは何度も辞めたいと思い、母に気持ちをぶつけたことも一度や二度ではない。

 

しかしその度に「辞めるなら今までかけたお金と時間を返せ」と言われてしまえば、モモにはもうどうすることも出来なかったのだ。

 

心のついていかない厳しい『プロ』への道のりは、鉛のように重い体で海を泳いでいるようなものだった。

 

常にやる『理由』を探して、必死に自分を鼓舞した。

 

『辞めたい』『辛い』『限界』だと泣きながら母に電話をし、それでも『母のために頑張る』とボロボロの心を立ち上がらせようとしたモモに、母が「嬉しい」と言った言葉は、絶望としてモモの心の中に深く刻まれた。

 

辞めたい、辞められない、才能がない、努力が苦しい、認めてもらえない・・・・

 

そんな気持ちと戦いながらも、モモは歯を食いしばって必死に踏ん張った。

 

我慢して、頑張って、ようやく・・・・。

 

モモは『夢』を叶えたのだ。

 

 

 

※このストーリーはフィクションです。

 

 

今日は今日の風が吹く

季節が巡り、周りの景色が変わり始めると、旅立ちの合図がどこからともなくやってくる。

 

常に揺れ動いている風のカラダはふわりと持ち上がり、南へ、東へ、西へ、そして北へと飛び立っていくのだ。

 

そうして辿り着いた場所で、一つの季節を過ごす。

 

「風はいいね。色々な場所へ行けて」

 

山が風に言う。

 

「まあね。ぼくは今まで沢山の景色と沢山の友達に巡り合ったよ」

 

風はふふんと胸をはる。

 

「風はいいね。自由で」

 

川が風にささやく。

 

「まあね。ぼくは空高く飛びまわれるからね」

 

風はそうやって空を指し示す。

 

鳥の群れが頭上を渡っていく。

 

「そろそろお別れみたいだね」

 

この冬すっかり仲良くなったもみの木が、寂しそうにカラダを揺らした。

 

風は小さく俯いた。

 

カラダがふわっと浮き上がるのを感じる。

 

行き先も、行く時も、決められずに、ただ流れに身を任せる。

 

「お元気で!」

 

「素敵な出会いを!」

 

「さようなら!」

 

「さようなら!」

 

仲間たちの声がどんどん遠ざかっていく。

 

風は飛んでいく。

 

新たな土地へと。

 

空高く、誰よりも身軽に。

 

 

 

 

大掃除は突然に・・。

連休の最終日。

 

友人に会うわけでも、どこかに遊びに行くわけでも、趣味に時間を割くわけでもなく、気がつけばずっと、スマホと仲良くしていた。

 

しかし、そんな穏やかで自堕落な日々も、あと一日で終わってしまう。

 

そう思うと居ても立っても居られなくなり、ようやくベッドから身を起こす。

 

しっかりと朝食を食べ、歯磨きをし、顔を洗う。

 

そして、普段着ない服をタンスから引っ張り出し、いざ外へ・・・・!

 

・・・出かけるはずもなく、家の大掃除を開始させた。

 

まずはキッチン棚から整理していく。

 

3年前の青のりや、去年買ったきなこなどが押し込められている戸棚は、何か取り出そうとする度に、決まって棒寒天が一緒に落ちてきて、ずっと気になっていたのだ。

 

パンパンでもう場所がないと思っていたのに、置き場所を決め、位置を少し変えただけで、驚くほどにすっきりとした。

 

むしろスカスカになった棚を見て、「なんだ、まだいっぱい買えるじゃん」と、買うお金も余裕もないのに思ったくらいだ。

 

すっきりとした爽快感とともに、スカスカとした寂寥感を感じたが、青のりが3袋、わかめが2袋あるのが分かったので良しとした。

 

「普段手が届かないところも!」と、猿のように椅子に登ったり、作業台に登ったりして、棚上まで拭いて回った。

 

ずっとベッドでダラダラしていたのが、嘘みたいに動きっぱなしなのが、「とってもえらい!」という気がしてきて自然と鼻歌を歌っていた。

 

『調子にのるべからず』という人生の教訓を忘れるくらいにはノリノリだっただろう。

 

その結果、ついでだからとオーブンの中も拭き、扉を閉めるのを忘れ、振り向きざまに太ももを強打して、棒状の大きな青あざをこさえたのだった。

 

普段は足の小指をぶつけても、謎の強がりが発動され、びっこを引きながらもポーカーフェイスで歩き続ける精神力の持ち主なのだが、あまりのオーブンの扉の強度と、内ももの柔さに、ぶつけた一秒後に耐え切れずに「痛てえ!」と顔を思いっきりしかめてしまった。

 

「何だか良いことをしている気がする」という謎の高揚感と「なのになぜこんな目に・・・」と釈然としない気持ちに悶々としながらも、痛む足を引きずり、お風呂場へと向かった。

 

「小さいアパートなのに、バスルームだけ大きいね」と引っ越しそうそう同僚に言われたバスルームは、すでにすっきりとしていた。

 

実は昨日、すでに軽く掃除をしていたのだ。

 

というのも、ここ数日頭の中に鎮座していた「髪を切りたい!」という欲求と関係している。

 

髪を切りたくても、近場に美容院が無く、気軽に散髪に行ける環境ではない。

 

1か月先までいっぱいの予約表を眺めながら、ベッドでゴロゴロしている日々だったのだが、その日の朝確認すると・・・

 

なんと「明日の10時から」の枠が空いていたのだ・・!

 

そして明日は連休最終日で、仕事はない!

 

なんという幸運だろうか・・・!

 

突然目の当たりにした『ハッピー』に小躍りしながら、ベッドに携帯を投げ、洗いたてのニットを着た。

 

そして再び携帯を手に取り、美容院の予約を・・・!

 

・・・するはずもなく、そのままバスルームへと向かい、眉毛用のハサミでザクザクと髪を切ったのだった。

 

読者は思っただろう・・。

 

「こいつ、変人だ・・」と。

 

だがそれは違う。

 

変人ではなく、『果てしないアホ』なのだ。

 

そこに天邪鬼の特性が加わってしまったために、突発的な行動をとってしまったように映るだけだ。

 

普段はとても慎重で真面目なのだから。

 

という言い訳は置いておいて、本当いうと、休日に電車で片道一時間半かけて、決して安くもない美容院へと行く気には到底なれなかっただけなのだ。

 

それでも伸びていく髪の重さと、毎日着実に長くなっていくシャワーの時間に耐え切れず、ハサミを手に取った次第である。

 

予約が空いた日に実行したのは、ただのきっかけだ。

 

何れにしても面倒くさいのは同じだから。

 

さて、自分で切ると決めたのは良いのだが、家にあるハサミが幼稚園の頃から使っている子供用ハサミか、紙切りバサミしかなかった。

 

仕方がないので、ゆったりと先がカーブしている手のひらより小さいサイズの眉毛用のハサミで切ることにした。

 

決して目の前に置いてあったからではない。

 

チマチマと2時間かけて切った髪は、美しい出来とは言えなかったが、許容範囲内には収まったように思う。

 

まあ、数週間後に、どれほどガタガタになっているのか楽しみだ。

 

「おお!思ったより良い感じじゃん!頭軽くなったし」と満足気に映った顔の下のニットが、トゲトゲになっているのに気がついたのはその時だった。

 

これから散髪するという時に、何故わざわざニットを着たのかは、あの瞬間の自分にしかわからないだろう。

 

そういうわけで昨日、ニット、並びにバスルームの掃除を行ったのだった。

 

粗方掃除してあるとはいえ、細かい所はそのままだった。

 

機能しているか怪しいオンボロの換気扇に溜まった埃を取り、手が荒れてきているのも気にせずにそこかしこ拭いて周った。

 

すでに3時間近く経っていて、疲れは出てきていたが、意地で椅子伝いにタンスの上によじ登り、綺麗に拭いた。

 

そしてその代償として膝を強打したのは、また別の話だ。

 

棚という棚の中を整理し、家中を拭き回り、最後に全部の扉を綺麗に拭いた。

 

ふうっとひと息ついて部屋を振り返る。

 

物を捨てたわけではないのに整理されすっきりとした部屋は、新品のスーツを着た人のように凛としていて、どこかよそよそしくも感じられた。

 

思えば引っ越してきて丁度1年経とうとしている。

 

急に思い立って始めたことだったが、新鮮な気持ちで2年目をスタート出来そうな気がして、小さく胸を張った。

 

かくして突如始まった大掃除大会は、幾つかの傷を残しつつも、しっかりとした満足感と共に幕を下ろしたのだった。

 

 

※この物語はフィクションです。