6歳から始まった夢が叶ったのは、モモが30歳になったころだった。
その頃になると、両親の『夢』に対する関心は薄くなっており、『叶えること』への束縛だけがモモの心を支配していた。
そんな中、ようやく手にした成功に、モモは心底ほっとした。
『これでやっと解放される・・・』
そう思い、就職したことを報告すれば『本採用されるために頑張らないとね』と言われ、モモの喉がぐっと鳴った。
そう。そうなのだ。
モモの目指した世界、『オーケストラ』は所謂オーディションを合格してから、試用期間というものがある。
試用期間というのは、オーディション合格者が実際そのオーケストラで働き、既存のオーケストラ団員が、団員として過不足ないかを『テスト』する期間のことだ。
その期間の長さはオーケストラによるのだが、モモの場合は一年半もの試用期間が定められていた。
つまり一年半の間、大きなミスをせず、楽団員に音楽的にも、人間的にも『嫌われない』ように努めなければならないのだ。
『オーディションを合格するだけでも骨が折れたのに・・・』
とモモは途方に暮れた。
何と言っても、モモはコミュニケーションが大層苦手なのだ。
人見知りで引っ込み思案なモモは、小学校の頃、度重なる転校のせいもあって、場面緘黙症になった、といえば、どのくらい人付き合いが苦手なのか、想像しやすいだろう。
更に問題はそれだけではなく、海外のオーケストラということで、母国語以外でコミュニケーションを取らなければならないのだ。
勉強の末、ある程度の日常会話は出来るようになったのだが、それでも言語の壁は厚く、一層モモの頭を悩ませた。
『オーディションにさえ受かれば、過去の『夢』から解放されると思っていたのだけれど、違うみたい』
モモはめでたいはずの帰りの電車で、一人ため息をついた。
『テスト』といえど明確な基準はなく、『ここのオーケストラに合うか』という主観に基づいて審査される。
総勢40人近い楽団員が投票し、2/3以上が『〇』に投票していなければ、一年半の苦労は水の泡。
失業者になり、再びオーディションを受け続ける日々が待ち受けているのだ。
『音楽家は気分屋で、感情的な人が多いっていうし、どうしたものか』
どんよりと垂れこめた雲が空を覆っていた。
その夜、モモは夢をみた。
子どもの頃から繰り返しみる夢だ。
モモは電車のホームに立っていて、みんなと一緒に電車へと乗り込む。
一緒に乗る相手はいつも違ってて、友人のこともあるし、昔のクラスメイト、もしくは家族の場合もある。
最初は何の滞りもなく、和気あいあいと電車に乗り、目的地へと向かっているのだが、なぜか唐突に、『間違えている』と思うのだ。
乗る前に何度も確認しているにも関わらず、いつも違う電車に乗り込んでいるのだ。
目的地に着く電車に乗り換えるためにみんなで移動するのだが、荷物が多すぎて、まとめている間にひとりぼっちになってしまう。
慌ててホームや駅構内を走り回り、電車を探すのだけれど、どうしても正しい電車が見つからない。
時間は刻刻と進み、焦燥感に苛まれ、段々と行き場所もわからなくなっていく。
違う、違う、という思いだけが残り、気がつけば、一緒に乗っていたみんなも、荷物も、電車さえも消え去り、一人ホームに、ぽつりとつったっている。
戻ることも進むことも出来ずに。
そして、静かに絶望するのだ。
ゾンビに追っかけ回されたり、高所から落ちたりといった、怖さのある『悪夢』ではないのだが、モモはこの夢をみるのが嫌でたまらなかった。
『ああ、もう。またこの夢だ』
苦々しい表情で目を覚ますと、モモはこれからの一年半に思いを寄せた。
カーテンのない屋根裏部屋に、朝日が差し込んでいた。
間違っているのはわかっていた。
それでも逃れられずに、ここまで来たのだ。
『最後の仕上げをするか』
この馬鹿馬鹿しい『夢』に蹴りをつけよう。
モモは腹をくくった。
コミュニケーションが苦手なら無理をせず、出来ることをすればいい。
そうやってモモが試用期間中にやると決めたことは、
『笑顔で挨拶すること』『誘いには絶対に乗ること』『お願いを断らないこと』だった。
『さて、これが吉と出るか、凶と出るか。
一年半後が楽しみだ。』
朝日がモモの目に反射して、キラキラと光っていた。
※この話はフィクションです